「オチ」の種類と、オチのない話をしてしまう人の問題点
オチのない話は、つまらないのか?
話の終わり方、
というテーマを続けます。
今回は、
オチについて。
「オチのない話はつまらない」
というイメージはありませんか?
お笑いのプロだけではなく、
一般人レベルでも、
オチがない話をした人が、
「それだけかよ!」
「オチはないのか!」
と突っ込まれるシーンを、
よく見ますよね。
ですから、
「最後になんらかのオチを用意せずに話すのは、悪」
「オチがある話=面白い話」
「オチが無い!と指摘されるのが、恐い」
という印象を、
話し手は少なからず持っているのではないでしょうか。
でも、
安心して下さい。
世の中に氾濫するオチは、
ほとんど、そんなに面白いものではありません。
もっと正確に言うと、
「即興で考えたオチは、大抵面白くない。」
ものですから、
無理してオチを言う必要などないのです。
ではここで、
「そもそもオチって何なのか?」
考えてみましょう。
オチとは何なのか?
オチとは、
その一連の話の価値を高める、
効果的な演出のことです。
話の最後が盛り上がると、
聞き手の満足感が高まりますから、
オチは基本的に、
話の最後に控えているものです。
つまりオチとは、
話の終わり方の、
ひとつの種類です。
ただし、
ひとつの話が終わって、次の話が始まる可能性はあります。
オチで終わる小さな話が連続して、
大きな話が構成されていることも多いですよね。
その場合、
最後のオチは「大オチ」などと呼ばれます。
オチのある話、特に大オチのあるような話では、
話の過程すべてが、
オチの為に欠くことが出来ない要素、
つまり「伏線」になりますから、
話全体のクオリティーが上がります。
綺麗にオチる話は、
作品としての価値が高いわけですね。
しかも、
聞き手を話の最後まで惹きつけるという意味でも有効です。
オチと結論は、どう違うのか?
オチは、
結論とはどう違うのでしょうか?
結論には、
訴えたいこと、気持ちが必要なのに対し、
オチに気持ちは要りません。
客観的な言葉・事実の羅列や
表現・構成の妙だけで、
オチは完成します。
後は、その事実・表現の「奇抜さ」と、
「ギャップの大きさ」によって、
オチの質に違いがでるのですね。
また、
オチにも種類があり、
その存在が現れるだけでオチになる、
出落ち、
最後に考えさせる、
考え落ち、
などと呼ばれるものもあります。
それらを考え合わせると、
オチと言われるものの性質は、
もう、それ以上、
付け加える必要のない「鮮やかな完結」だと思います。
即興のオチは、「たたき台」になるもの
ストーリーが決まっているような、
完結が予定された話をする時は、
その話を
できるだけ綺麗に終わりたいでしょうから、
結論やオチが用意されているほうが、
聞き手は満足するでしょう。
でも、考えてみてください。
完結する話をする時に、
即興で、オチを言うでしょうか?
ネタとして練り上げられた話には、
オチとでも言うべき話の終わり方が用意されているものですが、
それは人との会話で、
何度も話されるなかで、熟成されていったり、
あるいは、
話を面白くすることが得意な誰かが、
考えたことだったりします。
本来、オチとは、
完成度の高さが求められるものなのです。
かといって、
即興でオチを言うのをやめよう、
とは言いません。
私が観察していると、
即興で飛び出したオチは、
会話などの流れのなかでは、「たたき台」になります。
そして、
その流れの中で、
他の誰かが効果的な発言をしたり、
本人がさらに言い直したりした時に、
そのオチの、
さらなる着地点が生まれることが多いです。
「話が練られる」
というのは、こういうことです。
ですから、
即興でオチを言ってみることが無意味なわけではないと思いますが、
オチのない話が
悪というわけでもないんですね。
日常会話や
連続性のある話の中で、
オチを言わなくてはいけない、
始めからオチを考えておかなくてはいけない、
と思うのは、
ただの思いこみなのです。
オチのない話をしがちな人の問題点は別にある
ただし。
むしろ、
こちらのほうが重要なのですが、
オチがない話をした時に、
「そんだけかよ!」
とツッコまれてしまう、理由はしっかり考えたほうがいいでしょう。
それは、
話が中途半端で物足りないからです。
では、
オチがなくて物足りない話し方を改善するには、
どういう点に気をつければ良いのか?
これについては、
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