論理?感情?話し方の傾向、足りないもの
「自分の話に、論理、感情、事実は揃っているか?」


人に話を聴いてもらうという場面においては、
誰しも、ある程度、相手を楽しまることを意識するものです。
楽しませるというのは、
何も、笑わせるとか、ウケをとる、というようなものでなくてもいいのですが、
聴く人が関心を持って、積極的に聴く姿勢になるような、
次の言葉はなにか?と期待し、楽しみにしてくれるような話、ということです。
そういう話し手になるための心構えとして大事なのは、
まず、自分の傾向を知ること。
人間を分類するには、
いろいろなタイプの分け方があるものですが、
話し方についての傾向として、
論理的か、感情的か、という分け方もできると思います。
完全にどちら、と言える人はむしろ少なく、
どちらかというと論理的、感情的、というような分け方になるでしょう。
また、
論理的であろうが、感情的であろうが、
人が楽しみにしてくれるような話をすることが可能ですし、
論理が過剰で面白いとか、
感情が過剰で面白い話もありますから、
いつでもすべてのシーンにおいて同じバランスを取る必要はありませんが、
要は、自分がどういう傾向にあるかを知って、
足らない要素を取り入れてみる努力はしてみたほうがいい、ということです。

論理的な傾向の話し方の長所と欠点

ではまず、
論理的な話し方が好きな人へ。
ものごとを客観的に捉える傾向があり、
理路整然とわかりやすく話せているはず、と本人は思い込んでいます。
しかし、それはすなわち、そのものごとから一歩引いて見ようとするため、
話がまるで他人事のように聞こえてしまう危険性を含んでいます。
また、「論理が論理を呼ぶ」ような話の進め方をすると、
それは聞き手にとっては、理屈っぽく、面白味を感じなくなるため、
話の途中で、
相手がわざと思考停止、つまり聞き流されたりしてしまうことも多くなります。
そういう傾向がある人は、
あえて主観的な言葉を散りばめてみると良いと思います。
例えば、
「美しい!」とか、「好き!」とか。
論理的な話は、良く言えば、とてもクール。
でも、理詰めが過ぎると、相手にまで同じ考えを強要することになり、
聞き手は息苦しく感じてしまいます。
理屈をこねたあと、
でも結論は、「好き!」みたいに感情を入れてみると、
グッと人間味が出て、話し手をチャーミングに見せてくれますよ。

感情的な傾向の話し方の長所と欠点

いっぽう、
感情的になりがちな人は、
ものごとを主観的に捉える傾向があります。
主観的になればなるほど、
共感してくれる人は減るものです。
ですから、
自分が思っているほど、味方は多くない。
意外に敵も多い、ということです。
また、客観性を欠くのは、
説得力に乏しい、とも言えます。
そういう傾向のある人は、
論理的思考を意識してみると、
話に厚みがでてきます。
具体的には、
自分がそういう感情を抱くに至った理由を考えてみること。
つまり、
いつもの感情論に
「何故そう思うのか?という追求」を多少なりとも入れることで、
より多くの人に認めてもらえる話ができるようになります。
感情的になりがちな人は、
よく言えば、人間味のかたまりのようなタイプですが、
その人間味を軽々しく表に出すと、
薄っぺらい人、と思われてしまいます。
「何故そう思うのか?」を追求することで、
「深い!」と評される人になると思いますよ。

論理・感情、どちらの話し方でも聞き手の共感を得るためには?

ただし、
この両者に言えるのは、
論理的であろうと感情的であろうと、
話し手自身のものの見方、という領域を出ていない、ということ。
それらは所詮、それぞれの頭の中で考えただけのことですからね。
そんななかで、
聞き手の共感を引き出すためには、
話を抽象的にしすぎず、
「事実」を上手に織り込むことが重要になります。
○○を××に切り替えたから、売り上げが倍になった、という事実。
○○を××に切り替えたら、美しいと言われるようになった、という事実。
あるいは、
例えば、○○を××に切り替えて成功したのと同様に、
などという、例え話など。
論理的な話し方、
感情的な話し方双方において、話の中に事実を織り込むことが可能で、
そうすることで、てきめんに、
それぞれの話し方が説得力を増すことになります。
話には、「論理、感情、事実の三本の矢」のバランスが大切だと、
つねづね私は思っています。
そしてそのバランスは
それぞれのキャラクターによって変わればよいと思います。

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