どうすれば「自分の言葉」で話せるのか?
そもそも「自分の言葉」って何だろう?
話が面白いか、面白くないか。
その重要な分岐点にあるのが、
自分の言葉で話せているか、というポイントです。
しかし、
自分の言葉で話すことがいいのは承知のうえで、
「どうすれば自分の言葉になるのか?」
「そもそも、自分の言葉って何?」
という根本的な疑問も生まれます。
例えば、
紙に書かれたものを読む場合。
紙に書いた文章が、
全部自分が考えた内容であったとしても、
ただそれを音読しているだけの状態は、
自分の言葉で話している、と言えるでしょうか?
また、
他人が書いた原稿を読んでいるときは、
自分の言葉じゃない、のでしょうか?
いっぽう、
原稿を持たなければ、
全て、自分の言葉で話していることになるのでしょうか?
ペラペラしゃべるのに、言葉がつまらない人
核心を鮮明にするために
具体例で考えます。
他人が書いた文章でも、
面白く話せる人がいます。
書いてある文章を淡々と音読しつつ、
途中で、
「ん?これはどういうことなのかな?」
などと、
自分の感想を織り交ぜ、
引っかかったポイントを
再度注意深く、繰り返し読んだりできる人は、
たとえ他人が書いた文章でも、
聞き手を話に引き込む力を持っています。
そのいっぽうで、
ペラペラしゃべるのに、つまらない人もいます。
同じことばかり話す人、
表面的なことばかり話す人、
どこかで聞いたことのあるような言い回しばかりで話す人、
言葉数が多いわりに、省略すると一言で済んでしまうぐらいに、話の内容の無い人
話がすべて聞き手の想定内である人・・
両者のあいだにある違いは
なんなのでしょうか?
自分の言葉とは、アイデア・発想のこと
それは、
そのとき、その状態に合う最善の表現を、
言葉を発するギリギリ直前まで追求し、
ひねり出し、紡ぎ出した言葉を使っているかどうか、
という点だと思います。
聞き手が面白がる話をする人は、
話の展開、状況に応じて、
最適な言葉、
今、この瞬間に思い当たった言葉を選択しています。
こういう人の話は、
新しいアイデア、発想の連続であり、
聞き手はそういう話のなかに
何らかの発見をし、
新鮮さを感じるものです。
そういう話し方ができる人を総称して、
「自分の言葉で話せる人」
などというものなのだと思います。
上記の例、
「他人の書いた文章を読みながらでも引きつける人」の話では、
いま、この瞬間に感じたのが
どのポイントに関するもので、
どんなニュアンスの疑問なのか、
少ない言葉と、読み方の抑揚などで表現したことに、
聞き手は新しい発見をしたわけですね。
それに対して、
ペラペラしゃべるのに、面白くない人の話は
惰性で沢山の言葉を並べ、時間を埋めているだけ。
今この瞬間に、自分で言葉を紡ぎ出していないから、
聞き手にとって発見が少なく、スルーされてしまうのです。
身を削って、言葉を絞り出す、紡ぎ出す
話をするとき、ひとつひとつそのように自分の言葉を紡ぎ出すのは、
身を削るような厳しい作業ですから、
慣れていない人には、少し負担になるかもしれません。
しかし、
ここぞという要所で、
自分の言葉で話せる人かそうでないかは、
政治家の例を挙げるまでもなく、
人間的な信頼感まで違ってくるものです。
身を削るから、信頼されるのですね。
言いよどんでもいいですし、
間が空いてしまうことも恐れてはいけません。
むしろ聞き手は、
あなたが言葉を選んでいるその数秒は、
非常に関心を持って、待ち構えていてくれるものです。
自分の話を待ってくれている聴衆に、
選りすぐりの表現をお見舞いする!
だからこそ、
ギリギリまで、言葉を選ぶ。
それが、
自分の言葉で話す、ということなのだと思います。
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